そう、今日ぼくは犬の夢をみた。
 犬は岩をぺろぺろ舐め、それから川の方へ走っていって、水を眺めだした。
 犬はそこで何かを見たのだろうか?
 何故犬は水を眺めるのだろうか?




 そう、今日ぼくは犬の夢をみた。
 犬は岩をぺろぺろ舐め、それから川の方へ走っていって、水を眺めだした。
 犬はそこで何かを見たのだろうか?
 何故犬は水を眺めるのだろうか?
 ぼくは紙煙草を吸った。もうあと二本しか残っていない。
 これを吸ってしまったら、おしまいになる。
 金もない。
 今日はどこで昼飯を食おうか?
 朝なら茶を飲める。まだ砂糖があるし、菓子パンもある。しかし煙草はもうない。そして昼飯を食う場所はどこにもない。
 もう起きなくては。すでに二時半だ。
 ぼくは二本目の煙草を吸い、今日どうやって昼飯にありつこうかと考えはじめた。
 フォーマは七時に印刷所で昼飯を食べる。もしきっかり七時に印刷所にトーチャクすれば、あそこで彼に会えるから、こう言おう。『なあ、フォーマ・アントーヌイチ、今日昼飯をおごってほしいんだけどなあ。今日金を受け取るはずだったのに、口座に金がないんだ。』教授から10ルーブリ札を借りてもいいな。しかしどういたしまして、教授は言うだろう。『どうぞどうぞ、それはお貸ししなければ。おとりなさい。しかし今10ルーブリはないな。3ルーブリしかお渡しできませんよ』。違うな、博士はこう言うだろう。『私には今一銭もないんだ』。違うな、博士が言うのはそうじゃなく、こうだ。『ほら1ルーブリ。これ以上は何にもあげないよ。マッチでもお買いになるんですな』。
 ぼくは煙草を吸いきって、服を着始めた。
 ヴァロージャが電話してきた。タチアナ・アレクサンドロヴナがぼくの事を、どこからが天分でどこからが馬鹿なのか、どうしても理解できないと言っていたそうだ。
 長靴をはく。右の長靴から靴底が落ちた。
 今日は日曜日である。
 リテイヌィ大通りの、本屋街のそばを通り過ぎる。昨日ぼくは奇跡を乞うた。そうなのだ、もし今奇跡が起こったならば。
 半雪半雨が降りはじめる。ぼくは本屋のところで立ち止まって、ショウウィンドウを眺めた。本の題名を十も読んでいくが、そのそばから忘れてしまう。
 ポケットのタバコに手を伸ばして、もうなくなったことを思い出した。
 ぼくはこわばった顔をして、ステッキを投げるように鳴らしながら、ネフスキー通りの方へ足早に歩く。
 ネフスキーの角の家は、ムカムカするような黄色に塗られている。道を引き返さねばならない。向こうから来る通行人がぼくを押しのける。彼らは皆、ちょっと前に田舎から出てきたばかりで、まだ道の歩き方を知らないのだ。彼らの汚い服と顔は、個別に見るのがおよそ難しい。
 彼らはあらゆるところに踏み込んできて、わめき声をあげながら押しのけあう。
 お互い同士押し合いへしあい、「すみません」も言わず、汚い言葉で叫びあうのだ。
 ネフスキーの歩道はぎゅうぎゅうに混雑していた。道路のほうはかなり静かだ。まれにトラックか汚い軽自動車が通りすぎる。
 満員の市電が通る。昇降ステップにも人が鈴なり。市電には口汚い文句がつきものである。誰もがお互いに「お前」呼ばわりしている。扉が開くと、車両から出入り口に生ぬるい、いやなにおいの空気が吹きつける。人々は走っている市電に飛び乗ったり、飛び降りたり。けれどそんな事まだ出来やしないのだから、つんのめって尻餅をついたりする。しばしば転げ落ちては、悲鳴や罵り言葉と共に、市電の車輪の下に飛びこんでゆく。警官たちが笛を吹いて車両を止め、走行中に飛び乗った者から罰金を取る。しかし市電が走り出すとすぐに、新しい人々が左手で手すりをつかまえ、走行中に飛び乗ってくるのだ。
 今日ぼくは昼の二時に目が覚めた。起き上がる力がなくて、三時までそのまま寝床にいた。ぼくは自分の夢について考えていた。何故犬は川を眺めていたのだろうか、そこで何を見たのだろうか。夢を最後まで考えること。これはとても大切なことだと、ぼくは自分に言い聞かせた。けれど、その先夢で何を見たのか思い出せなくて、ほかの事を考えはじめた。
 昨日の夜、ぼくはテーブルの前に座り、煙草をふかしていた。何かを書くための紙が、ぼくの前においてある。しかしぼくには、何を書かなくてはならないのか、わからない。それが詩であるべきか、物語なのか、または解説なのかという事さえ、わからなかったのである。ぼくは何も書かずに横になった。けれど長いこと眠りにつかなかった。何を書くべきなのかがわかれば、と思う。頭の中で言語芸術の種類を数えてみたが、自分のジャンルは見つからなかった。それは一言でいいのかもしれないし、もしかしたら、丸々一冊の本を書かなくてはならなかったのかもしれない。何を書いたらいいのかわかりますようにと、ぼくは神に奇跡を乞うた。煙草がほしくなった。ぼくに残ったのは、全部で四本の紙煙草。朝用に二本、いや、三本はとっておいたほうがいいだろう。
 ベッドに座って煙草をふかす。
 ぼくは神に何らかの奇跡を乞うた。
 そうなのだ、奇跡が要るのだ。どんな奇跡でもかまわない。
 ランプに火を点し、周囲を見まわしてみた。すべてがもとのままである。
 そうだ、ぼくの部屋の中では何ひとつ変わるはずもない。
 変わらねばならないのは、ぼくの中の何かだ。
 ぼくは時計を見た。三時七分。つまり、最低でも十一時半まで寝てなくてはならなくなったということだ。早く眠らないと!
 ぼくはランプを消して横になった。
 いや、左脇を下にして寝なければ。
 ぼくは左脇を下にして横になり、眠りはじめた。
 ぼくは窓を眺め、掃除夫が通りを掃いているのを見ている。
 ぼくは掃除夫の横に立って、何かを書き始める前には、書くべき言葉を知っていなくちゃねと、彼に言っている。
 ぼくの足のうえを、のみがパチパチ跳ねている。
 目を閉じ、顔を枕にうずめて、眠ろうと努める。しかし、蚤が跳ねているのが聞こえるので、その音を追いかけてしまう。ピクリとでも動こうものなら、夢を見失ってしまうのに。
 けれど、手を持ち上げて、指で額を触ってみなければならなくなった。ぼくは手を上げて、額を指でさわる。
 それで夢は行ってしまった。
 右脇のほうへ寝返りを打ちたくなるが、ぼくは左脇を下に寝なくてはならないのだ。
 今度は、蚤が背中のほうにいる。今度こそ噛まれるだろう。 
 ぼくは言う。「おお、おお。」
 つぶったままの目でぼくは、蚤がシーツの上を跳ねていって、押入れへ到着し、そこで犬のように従順に座るのを見た。
 ぼくは自分の部屋全体を、横でもなく、上でもなく、すぐさま全体を、いっぺんに見ている。すべての物体がオランジェ色だ。
 眠れない。何も考えないように努める。でもそんなこと不可能だと思い出し、思考を押さえつけないように努める。何でも好きな事を考えるがいい。それでぼくは巨大なスプーンのことを考え、タタールの寓話を思い出した。キセリ(シェークのようなもの)の夢を見ているのに、その夢にスプーンを持ってくるのを忘れたというやつだ。あとでスプーンを見つけたのに、次に忘れたのは、・・・忘れたのは・・・忘れたのは・・・。何について考えていたのか忘れた。もう寝てるんじゃないのかな、ぼくは?試しに目を開けてみた。
 さて目が覚めてしまった。すっかり寝ついて、眠りがそんなにも必要なことすら忘れられていたというのに、残念なことをしてしまった。またがんばって眠らなくてはならない。どれだけ無駄な努力をすればいいのだ。ぼくはあくびをした。
 眠るのが面倒くさくなってきた。
 ぼくは目の前のストーブを見る。暗闇でストーブはダーク・グリーンに見える。ぼくは目を閉じる。しかしストーブも見続ける。ストーブは完全にダーク・グリーンだ。そして部屋の中のすべてのものがダーク・グリーンだ。目は閉じているが、ぼくは目を開けないで瞬きする。
 「人は閉じた目でも瞬きをするんだよな」とぼくは思う。「瞬きをしないのは眠っている人だけだ。」
 ぼくは自分の部屋を眺め、ベッドの上で横たわっている自分を眺める。ぼくはほとんどまるごと毛布に包まれている。ほんのちょっと顔を突き出しているだけだ。
 部屋の中はすべてが灰色のトーン。
 これは色ではない、これはただの色相図だ。物は色を塗るために下塗りされている。しかし色が剥がされてしまった。このテーブルクロスは灰色だが、もとは水色だった。そしてこの鉛筆も灰色だが、もとは黄色なのだ。
「眠ったな」という声が聞こえる。
 
1931年 1025日 日曜日
 
写真:hiko uemura






解説 1931年の10月は、ハルムスにとって大変つらい時期でした。1920年代後半から、ハルムスの所属していた詩人グループは体制から目をつけられ、派手な活動は一切出来ない状況でしたが、1930年になると、公式に解散をせまられます。そして、彼のグループ「オベリウ」は、文壇から抹消されてしまうわけです。作家としての発表の場はなくなり、仲間の助けで児童作家として変名を使って細々と生きていく日々が続きます。その収入は、自分と妻を食べさせることにさえ十分ではありませんでした。そして、やがて193112月に、ハルムスは仲間のフヴェジェンスキーらと共に逮捕されます。この散文詩はまさに、その2ヶ月前に書かれたものでした。ここには、非常に強い不安、不眠、人々に対する嫌悪、それから今日の食べ物をどう得ればよいのか、という実質的な恐怖が描かれています。憂鬱は強く激しく、ハルムスを圧迫していきます。
 けれど、にも拘らず、ハルムスは文章にユーモアをこめるのだという事に注目していただきたいのです。圧倒的に負けの状況の中で、ブラックではあるけれども、そこはかとない笑いがあるということ。自分らしさと言うものを失うまいとする、若いハルムスの必死の戦いがそこにはあるのだと思います。




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